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阿南関昌観音像の山道

すみません今から2018年の話をします。

2018年の10月頃、気がつけば私は長野県下伊那郡阿南町にいました。ググってもらえばわかるような、なかなかの山奥スポットです。ではなぜ私はこんなところにいるのでしょうか?3択です。

  1. 長野県の山奥にある県下最大級の救世観音を見に来た
  2. 長野県の山奥にある県下最大級の如意輪観音を見に来た
  3. 長野県の山奥にある県下最大級の千手観音を見に来た

答えはもちろん①です。正解した方はおめでとうございます、この記事の続きを読む権利をあげましょう。不正解だった方、中学生からやり直せ!(私はどちらかというと、やり直したい派です)

自称、長野県化最大級の観音様

国道151号線をズイズイ進むと突然見えてくる「阿南関昌観音像」「県下最大級」と描かれた看板。なんとまぁこんなところに大観音があるそうです。しかも自称長野県内で最大級の大きさと言うんだから、これは期待せずにはいられません。と言ってもこの観音様、ネット上にもあまり情報が出ておらず、知名度は割と低め。

続く参道

看板に従って山道を行くと、たどり着いたのがこの灯篭群。この日のもう一つの目的が、GoPro HERO7 Blackによる撮影です。そう、この日の少し前にGo Proを購入したのです。そんなエクストリームなアクションカメラを持ってやってきたのがこんな長野県の山奥で良いのかニック・ウッドマン!(ある日手首にカメラをつけてサーフィンをしていたニック・ウッドマンは、そこからGoProの原案を思いついたと伝え聞きます。)

GoProで撮った参道全体像

そして撮影したのはご覧の通り、仏像灯篭仏像灯篭…。こんな被写体を撮らされるとは、GoProも思っていなかったでしょう。すまんGoPro、好きなだけ泣いてくれ。でも大丈夫。だってお前は防水だから😉

仁王像

そして現れるのは仁王像。こちらの写真はGoProではなくミレーラスで撮影しました。

仁王像

悪党が侵入するのを拒むために雨の日も風の日も、仁王像はここで頑張っておられます。口を開いている方がYOHで、口を閉じている方がSHOです。それはロッポンギ3K。

仁王像の足の血管

足の血管まできちんと織り込み済み。しかし仁王像の大作、東大寺南大門の金剛力士像のあのリアル感のある血管と比較すると、こちらの方はちと血管が誇張されすぎていてリアリティに欠ける印象。なんて批評できるほどの眼力の持ち主ではありませんがここは私のブログである以上、言論の自由は保障されるべきなのです。今こそアベ政治にNOを!

平成16年の作品

平成16年の作品だそうで。若手ですね。自分の方が先輩なので、軽く頭撫でときました。

見え隠れする阿南関昌観音像

はい、そして木々の隙間からお目当の大観音が見え隠れしてきました。

阿南関昌観音像のお姿

もう目と鼻の先にある大観音も、GoProの広角レンズにかかればこの通り、まだ遠くにあるように見える。と、言ってもまぁ伝わりにくいのですが。

GoProで撮った阿南関昌観音像

そしてご対面。こちらが自称長野県内最大級の阿南関昌観音像でございます。

阿南関昌観音像

普通のカメラで撮るとこの通り。高さは約8mとのこと。ムムム、長野県といえば像高25mくらいの「世界平和観音」があると思いますが、そいつの存在を差し置いて県下最大級を名乗っちゃってるんですね。しかしまぁ、大きければ良いというものでもない。大切なんは信仰心です。ここはひとつ、菩薩のように広い心で不問としようではありませんか。

阿南関昌観音像とその周辺

丘の上にポツンと立つ観音様。こう見ると敷地に対して寂しげ。

相田みつをさんの碑文

相田みつを大先生の詩がおしゃれに飾られていました。

阿南関昌観音像の周辺

台座には小さな観音像もたくさん置かれています。

阿南関昌観音像の蓮華座

能救世間苦(のうくせけんく)

意味は知らない。

阿南関昌観音像と照明

ライトアップ用の照明がありました。ただでさえ丘の上にあるので、それがまたライトアップされるとなると、日本版コルコバードのキリスト像みたいになるんでしょうか。どんな感じになるか見てみたいです。しかし、このままこんなところで夜まで待機するのはしんどいので、夜の景色はまたの機会に。こんな時には昼夜を逆転する呪文、ラナルータが使えれば良いんですけどね。

日本アルプス

観音様の正面には日本アルプスの山々。そして朝礼台のような簡素な展望台があります。この展望台、一部欠けてて怖かった。

阿南関昌観音像正面

観音様正面。

下から阿南関昌観音像

ローアングル。以上です。

という話だけだとあまりにつまらない記事なので、最後に1つ、アンコールとして最近知ったお話をしてあげましょう。

吉田松陰はペリーの黒船に乗ったことがある

廃墟

吉田松陰といえば、江戸末期に日本の近代化に貢献した長州藩士でござる。彼がティーチャーを務めた「松下村塾」では、のちに初代総理大臣となる伊藤博文も在籍していたという、まさにティーチャーオブティーチャーズなわけです。

そんな松陰先生、ペリーが黒船に乗ってやってきたときに、金子重之輔なる人とともに小舟でこっそり黒船に近づき、「松陰をアメリカを連れてって!」と懇願したそうです。

廃墟

しかしそこはさすがアメリカ人。松陰らの熱い気持ちに感嘆しながらも、やはり出てくる言葉はNo。これが日本人だったら「いやー申し訳ないんですけど、ちょっと…難しいですねぇ…すみませんねぇ…」と明確に「いいえ」の意思を示さずに断るんでしょうが、ペリーはノーと言えるアメリカ人なので、きちんと断るわけです。いや実際にペリーが「No」って言ったかどうかは知らないけど。

てな訳で密出国に失敗した吉田松陰は、「鎖国してるのに外国に行こうとした罪」で、御用となるのでした。いやーもちろんペリーが日本にきたのは知ってたけど、吉田松陰が乗り込んだとは知らなかったね。あれ、これなんの記事だっけ?

熊の剥製

2019年もよろしくお願いいたします。

この記事の撮影機材
カメラ1:X-T20
レンズ:XF16-55mmF2.8
カメラ2:GoPro HERO7

阿南関昌観音像の詳細情報

公式サイト:なし
住所:〒399-1505 長野県下伊那郡阿南町富草4342
電話番号:0260-22-2520
場所:Googleマップで見る

営業時間:いつでもいけそう
入場料:無料
駐車場:あり

備考:すぐ近くに関昌寺という立派なお寺あり