宮崎県です。
写真は、宮崎市内の平和台公園内にある平和の塔です。別名、八紘一宇の塔(はっこういちうのとう)とも言います。正式名称は八紘之基柱(あめつちのもとはしら)と言うそうです。すっごい難読語。
この塔、ごつくてイカした見た目が素敵なだけでなく、いろいろと逸話やしがらみがあって非常に面白いのです。あらゆるエピソードを紹介していきますね。
目次(もくじ)
平和の塔は神武天皇の即位から2600年経過を記念して建立されたすごい塔!
はい、見出しの通り、この塔は神武天皇の即位から2600周年に当たる、1940年に作られました。
見た目のインパクトが強烈で、ひたすら石を積み上げたようなゴツゴツとした外観、四方に立つ四神像(信楽焼だそうな!)、そして正面中央に刻まれた「八紘一宇」の文字と、とにかくその辺の塔とは一線を画す見た目です。RPGで言えばこの後四神像と戦うシチュエーションでしょう。
この奇抜なデザインは、サッカー日本代表のあのヤタガラスのシンボルマーク(の元となったもの)をデザインした日名子実三さんによるものだそうです。
八紘一宇とは?戦犯となった荒御魂
さて、等に刻まれる「八紘一宇」の文字。近年では三原じゅん子が国会で「八紘一宇」と発言して話題を呼んだこともありました。ご結婚おめでとうございました。
これ元々は日本書紀に出てきた言葉で、神武天皇が即位した際に発した言葉(を、後年にもじったもの)で、その意味は「世界を1つに」的な意味です。ただこれはあくまでも、「地球上にはいろんな人間がいるけどみんな仲良くしようや」という、まぁ平和的な世界統一宣言なわけです。
しかしこれが第二次世界大戦においては、世界への侵攻を肯定するスローガンとして使われたのです。当時の日本は、弱いものをいじめる列強たちから世界を守ったる!という名目で周辺諸国を併合していったわけですから、手法はどうであれ八紘一宇の精神がピッタリだったんですね。
てな訳で戦後になると「八紘一宇」という言葉はイコール侵略戦争の肯定と捉えられることとなり、GHQによる検閲対象となりました。塔に刻まれた「八紘一宇」の文字も、GHQの命令によって撤去されてしまい、名無しの塔になってしまった時期もあったのです。
現代ではその名誉もある程度回復し、塔にも「八紘一宇」の文字が戻りました。ただ、今でもネガティブなイメージがつきまとっているせいで、塔の正式名称は「平和の塔」に改められました。また、東京オリンピックでは聖火リレーの第二コースの起点ともなったそうです。良かったなぁ…。
そして八紘一宇の左手に立ってらっしゃるこのお方。彼は荒御魂(あらみたま)さんです。このお方はご覧の通り、戦いの神様(か、なんか)です。
この人も軍人の神格化と見なされ、八紘一宇の文字とともに撤去されてしまった時代があったそうな。そう言われてみれば他の像よりちょっと綺麗かもしれない。
とまぁそういうわけで、紆余曲折ある塔なのです。
平和の塔の内部は年に1度公開、2階外周はたまに解放される
塔の高さは見た目に反して36.4メートルと、思ったほど高くない数値。ちょうど良い高さということもあって、戦後にはロッククライミングの練習場として使われていたこともあったそうです(笑)無礼な!
ちょうどスポーティ女子がいたので、大きさの比較対象にどうぞ。そうそう、そもそもここは平和台公園と言うように、結構広めの公園となっています。近くには後日紹介しますが、はにわ園てな面白スポットもあります。
正面には塔内部の入り口があります。残念ながら内部は年に1度しか公開されません。毎年11月頃ということしか決まってないので、いつ公開されるのかはわかりません…。内部には建立当時に作られた石膏のレリーフなどがあるそうです。もちろんそちらも日名子実三さんの作品。
正面からは裏から回るともう1段上に上がれます。ちょうど写真の燭台(?)みたいなのがあるところですね。そこまで行けます。
上からの形式。うむ、うっすらとシーガイアが見える。
こちらもいつでも行けるわけではなく、たまにしか入れないそうです。ラッキーでした。
中国との間では、未だに緊張関係にある平和の塔
この塔にはもうめっちゃんこたくさんの石が使われています。で、その石の中には日本のものではなく、当時日本の統治下にあった国々から寄贈されたものも多数あります。石の色がまちまちなのがその証拠ですね。
で、石の1つ1つをよく見ると寄贈先の名前が書いてあります。これだと河南省前田隊と書いてあるので、十中八九現在の中国から寄贈された石でしょう。
こちらは上海工部局警察部と書いてありますので、同じく中国産だと思われます。
てな訳で、近年になって中国ではこれが問題視されています。「寄贈」じゃなくて「略奪」だろと。実際、南京民間抗日戦争博物館の館長が返還要請のために来日してます。
しかし略奪なのかどうかを示す資料がなく、そもそも戦争の清算は済んでいるので返還義務がない、というのが宮崎県の姿勢だそうです。
そして石の返還を求めるとともに、「八紘一宇」の文字を消せとも要請しているそうです。まぁ戦争後追いの人間の自分が口出ししたところでペラい意見でしかないと思うので何も言いませんが。
てなわけで戦後70年経って、名前を平和の塔に変えてもやっぱりなんかこう、この日の天気のように、どんよりした雰囲気が漂ってました。
見た目はかっこいいんですけどね!残念!(ギター侍)