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どっちも気になるよ
どっちも気になるよ

行き先を告げる道路標識、通称青看板。青森県には驚くような青看板があります。まっすぐ行ったらピラミッド、右に曲がればキリストの墓。

ここは青森県の新郷村。周辺は田んぼと森しかない田舎。そんな場所に世界が驚くようなスポットがあるってんだからすごい。今回はキリストの墓を参拝してきたので、紹介していきます。

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ウサミミ
もしも敬虔なキリスト教徒の方が身近に
いたら、「エルサレムより新郷村の方が近いよ」と教えてあげてください。

疑問:なぜキリストの墓が青森に

普通に田舎
普通に田舎

それほどキリスト教が根付いているわけでもない日本にキリストの墓があるってのはなんとも言い難いです。また、日本でのキリスト教伝播と言えば、戦国時代にやってきたフランシスコ・ザビエルが最初のはずです。

というわけで、「またまたぁ」という気持ちでやってきましたキリストの墓。正式名称は「キリストの里公園」と言うそうです。

106歳まで生きたらしい
106歳まで生きたらしい

説明がありました。

昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨磨氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。
古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。向かって右側がキリストの墓”十来塚”、向かって左側が弟イスキリの墓"十代墓”と言われており、毎年キリスト祭では感謝祭が行なわれ、ナニャドヤラの唄と踊りが奉納されます。

キリストの最期は、エルサレムで処刑されたというのが一般的な話です。しかし、新郷村説ではそれは弟であり、兄であるキリストは日本に逃れ、そのまま日本で暮らしてここで死んだよ、ということです。

ちなみに一般的にはキリストはエルサレムで処刑された後、一旦復活して、しばらくして天に召されました。この復活こそが結構重要なお話だと思うんですが、新郷村説ではその辺なかったことになってるようですね。

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ウサミミ
まぁ現代の価値観では、そもそも「復活」ってなんだよって話ですけど。

海外の方にも優しい
海外の方にも優しい

そういうお話を英訳した看板もありました。攻めてますね。でもこれも1つの説であり、誰にも否定できるものではないし、そもそも新郷村がマジョリティのキリスト教徒を否定しているわけでも全くありません。

ちゃんと仲良くしてくれる
ちゃんと仲良くしてくれる

むしろ「キリスト教」という共通点によって、「エルサレムと友好を結びこの石が寄贈された」という案内もありました。よかったじゃーん。

ドラクエの世界観
ドラクエの世界観

手前が弟イスキリの墓、奥がキリストの墓です。説によればイスキリはエルサレムで身代わりになって死んでるので、遺体があるとしたらキリストの墓の方ですね。

イスキリって誰だよ:
キリストには「ヤコブ」などの兄弟がいたとも言われていますが、「イスキリ」という兄弟がいた、というのは新郷村唯一の説みたいです。

ちなみにキリストは英語で「Christ」と書きますが、イスキリは海外のサイトによると「Iskiri」と書くそうです。急にローマ字感。そもそも「兄の名前をもじった名付け」というのがかなり日本的な発想な気がします。海外だとそういうの聞かなくない?

なんて、野暮ですね。

キリスト教の影響は間違いない!?残された謎

お墓より立派な施設
お墓より立派な施設

敷地の奥には「キリストの里伝承館」があります。有料の施設で、いろいろな資料があったと思います。

館内は有料
館内は有料

で、まぁキリストが本当にここにやってきたのかどうかは定かではありません。しかし、新郷村とキリスト教には何か関係があったんではないか、と思われる数々の謎があります。

例えば先ほどちょっと触れましたが、「ナニャドヤラ」という行事(?)があります。「ナニャドヤラ〜」と歌って踊る、まぁ盆踊りのようなものなのですが、この「ナニャドヤラ」という言葉の意味は不明で、色々と説がある中の1つが、ヘブライ語説です。

キリストはヘブライ語を使っていたので、それが伝わった、という説があります。

この星形の家紋は、ユダヤ人のシンボルであるダビデの星に似ていると言うけど、キリスト教とはあんまり関係ない?
この星形の家紋は、ユダヤ人のシンボルであるダビデの星に似ていると言うけど、キリスト教とはあんまり関係ない?

他にも、新郷村はもともと戸来「ヘライ」村という名前で、この「ヘライ」が「ヘブライ」から来てる、とか「子供を初めて外に出す時は額に十字を書く風習がある」とか言われてます。

とまぁ、そんな風習が本当にあるのかどうかは知りませんが、もしかしたらキリスト来日はなかったとしても、キリスト教の信仰が厚かった地域なのかもしれません。

田舎の村とトンデモ説の奇跡のコラボレーション:
まぁ、実際のところ地元の人もこの墓をガチなものと考えている人はいないようです。そもそも、ここがキリストの墓だと主張されたのが1930年代の話なので、キリスト教の長い歴史から考えたら、最近中の最近の話です。

しかし、こうした奇想天外の面白い説が出てきて、みんなでそれを推したことで、こうして日本中にその名を轟かす観光スポットとして確立されたので、結果的にWIN-WINの素晴らしい観光地になったんじゃないかなと思います。

沢口さんの目は青く、日本人離れした外見だったとか
沢口さんの目は青く、日本人離れした外見だったとか

ちなみにこの広い敷地は、沢口さんによって提供されました。で、この沢口家っていうのはなんとキリストが日本で作った子供の子孫と言われているそうです。

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ウサミミ
でもお墓は和風。

キリストっぷは日曜営業中

急に何
急に何

キリストの里公園の入り口には、お土産ショップがあります。その名も「キリストっぷ」。

見学すればよかった
見学すればよかった

どっかで見たことあるようなテイストのロゴがはためいています。

営業時間は「十字架ら3時まで」とのこと。「10時から」を「十字架ら」としてるところがニクイ。

ピラミッドは…まぁ頑張れ

てなわけで今回訪問したのはキリストの墓だけなんですが、青看板の通り、近くにはピラミッドもあるとのこと。とはいえその見た目は大きめの岩がドカッとあるだけで、お墓でもなく話題性に欠ける感じでした。

まぁピラミッドなんて、姫路にもあるしな!

キリストの里公園の詳細情報