本社としての機能は現役らしい
青森と言えば有名な街が八戸(はちのへ)。そしてその周辺には一戸(いちのへ)だ九戸(くのへ)だとかがあります。地名の由来としては平安時代にまだ遡り、この辺りの地域を9つに分けてそれぞれ〇〇戸と呼んでいた、と言われています。そんな歴史深いんすね。
で、その中の七戸。こちらには南部縦貫鉄道という鉄道がありまして、写真にあるのがその本社になります。外観とプラットホームをちょろっと見ただけなんですが、シブくて良かったです。
この雪国だからなのか知らないけど、コンクリート一辺倒の無骨なスタイルが良いですね。おそらく1950年代に建てられたと思います。
鉄道自体は2002年に廃止されたのですが、今でも車両の見学等が可能とのこと。ただしこの日はお休みか、それともコロナ真っ只中だったからか、閉鎖されておりました。
南部縦貫鉄道の歴史を見たらすごくかわいそうだった
本社裏のプラットフォーム
てなわけで激シブ本社の裏に回ってきました。七戸駅は南部縦貫鉄道の始発駅で、ここから野辺地駅に向かって北上していったわけです。
野辺地…。毎年青森は恐山を参拝していたのでなんとなく青森のことはわかります。そんな私の疑問。「七戸と野辺地を繋いでどうするの?」と。青森と言えば「弘前」「青森」「八戸」が三大都市だと思います。南部縦貫鉄道はそのどことも繋がっていません。
調べてみると、南部縦貫鉄道は当初、旅客だけではなく砂鉄を運ぶための路線としても予定されていたようです。しかし砂鉄輸送計画が頓挫してしまったため、なんとも微妙な旅客鉄道が爆誕してしまった、というわけ。かわいそすぎんか?
いくぞ野辺地
もちろん砂鉄計画が頓挫した時点でお手上げしちゃう手もあったと思います。しかし南部縦貫鉄道は諦めませんでした。なぜなら、七戸には新幹線が来るから!新幹線さえくればまだ勝ち目はあるぜ!
と思ったら、その後新幹線は七戸を経由しない計画になってしまいました。かわいそすぎんか?
と思ったら、また計画が変わって、結局七町に新幹線来るって!やったー!そしてついに2010年、東北新幹線が青森まで延伸され、七戸町には七戸十和田駅という新しい駅ができました。
でも…。少し遅かったようです。その時南部縦貫鉄道は既に冷たくなっていました。2002年のこと。新幹線完成があと8年早かったら、南部縦貫鉄道は延命できていたかもしれません。ただそうは言っても、やはり七戸と野辺地を結ぶ路線。新幹線と接続できたとしても焼け石に水だったかもしれません。
今でも動くぜ!
まるで合成のように片方だけ綺麗
とまぁそんな悲しい歴史があるんですが、この駅はなんと今でも車両運行・撮影といったイベントを度々行っているようです。それゆえにか、片方のレールだけ雑草がなくとても綺麗な状態。
また、私は詳しくありませんがここで保存されている車両は「レールバス」と呼ばれており、珍しい車両なんだそうです。
歴史にもしもがあるのなら
昔はここで車両に乗るり混んでいた
「南部縦貫鉄道」と言ったものの、七戸から野辺地までを指して縦貫とはちょっと言い難い。しかし、七戸からもっと南、十和田の方へ伸びる計画もあったそうです。十和田と言えば青森三大都市に勝るとも劣らない規模の都市。しかも十和田には十和田観光電鉄があり、十和田から八戸にも接続しています。
野辺地〜十和田〜八戸と青森の中心部が繋がり、まさに縦貫な鉄道網ができるかもしれなかったけども、残念ながら実現しませんでしたね。
繋がらなかった鉄道
ところ変わって日本の南、熊本の話。
時は70年代の国鉄時代、こちらでは縦貫ではなく、九州横断鉄道を設立すべく頑張り、そして夢破れた歴史が残っています。