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岩村城跡

岐阜県恵那市にある岩村城跡にやってきました。ここにはその名の通り、岩村城なるお城が戦国時代から江戸時代まで立っていました。辺りは普通に山の中で、なんと海抜717mに位置しています。居城の中では最も高い位置に立っていたお城で、天空の城だとか日本のマチュピチュだとか呼ばれています。ちなみに同じく天空の城と呼ばれる兵庫県の竹田城は353mですので、岩村城はその2倍も天空に近いことになりますね(笑)

山中のお城ですがアクセスは良好で、恵那市から国道257号線をザーッと南下するだけです。途中で山道はすこぶる細くなりますが、ある程度いくとちゃんと駐車場とかあります。

岩村城跡を散策する

岩村城案内板

駐車場には案内板がありました。今いる駐車場の辺りは出丸になるわけですね。

石垣

出丸から本丸の石垣を見る。積み上がってますね!

石垣沿いの道

本丸に続く道と石垣。こんな山の上にあるうえにこんな高い石垣があるんだからそう簡単に攻められなさそうですね。実際に何度か攻められたものの守り抜いた実績あり。

石垣を上る階段

まぁこの道は最近舗装されたものだろうけど趣がありますね。

石垣の細道

本丸外周をぐるぐると。

マチュピチュ感が出てくる石畳

回りこむと石垣をかき分けていよいよ本丸に侵入できます。ここにはかつて門があったそうな。

かつてここに城があった

本丸〜。でもここには何もありません。お城は既に解体されてますからね。

岩村城からの景色

本丸からの眺め。これは確かに天空!ここらには霧が発生するので、岩村城は霧ヶ城とも呼ばれるそうです。しかし竹田城に比べて有名じゃないのは、そんなにいい感じじゃないからかもしれません(笑)

女城主の城

広場から見下ろす

岩村城には結構面白いエピソードがあるので紹介します。ここの城は元々武田家の城っぽかったのですが、いろいろあって信長の叔母であるおつやの方が城主となりました。ところがある日、武田信玄の軍が岩村城に攻めてきます。おつやの方は籠城してこれに持ちこたえました。

そんな中、武田軍のから「おつやの方を自身の妻に迎えること」を条件に、無血開城の提案が提示されます。おつやの方はこれを受け入れ、岩村城は武田家のものになりました。

広場があるだけの岩村城跡

てなわけで城も嫁もゲットだぜと喜ぶ秋山虎繁でしたが、武田信玄の病死と長篠の戦いで織田家優勢になると、岩村城にもまた織田軍がやってきました。おつやの方は武田軍として織田軍と戦いましたが、ついに敗れてしまいました。

敗れた秋山虎繁とおつやの方は、信長の一存により命だけは助けてもらいました。秋山虎繁は「あの信長先生が敵である我々を許してくれるなんて!素敵!」と思って信長にお礼を言いに行きました。しかし、これはやっぱり罠でした。信長は「かかったなアホが!」と言わんばかりに態度を翻し2人を捕まえ、逆さ磔にして処刑してしまいました。

石垣の上を歩く人々

刑場は長良川近くと言われています。いずれにせよ、助かったと思わせといて殺すとかやっぱり信長先生はサイコパスですね。怖い怖い。

織田信長が本能寺の変の前に寝た場所

本能寺の変の80日前に織田信長がこの城に泊まったらしいです。へーって感じですね。

ドンキーコングみたいな石垣の斜面

本丸の石垣を登る方々。ドンキーコングみたいです。

プラミッド状に積み上げられている石垣

本丸を見上げる。しかしこんな高地で石垣を積み上げるなんてマジでハンパない重労働でしょうね。考えただけで恐ろしいことやで。

マチュピチュ感がある石垣

おーこう見るとマチュピチュ感あります!素敵です!

石垣を後にする人々

ここから先は二の丸、三の丸と続きます。もはやハイキングコースと化しているので軟弱者の私はここまでにしました。以上!終わり!

岩村城の詳細情報

公式サイト:なし
住所:〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町城山
電話番号:0573-43-2111(岩村振興事務所)
場所:Googleマップで見る

営業時間:いつでも
入場料:無料

備考:敵の大将と結婚するとか素敵やん