本日ご紹介するのは愛知県岡崎市本宿にある法蔵寺というお寺。
東海道の宿場として歴史ある町のようですが、交通網が発展した近代は通過点に過ぎない地味な土地でございます。
そんな町にあのお方のお墓があるのでございます。
なかなかおっきい
湧き水
ピースポール。
スタンダードタイプなので15000円也。
階段を登ると
東照宮。ここは家康縁の地でもあるのです。それは後ほど。
どうしよう東照宮
上から見下ろす。手前は六角堂。
横から六角堂。
六角堂の近くにはためく誠の文字
無造作に置かれる案内
いきなりドン
一歩引いてドン
更に引いてドン。
横からドン。像の具合はなかなか。写真よりもいくらか頬骨が強調されてる気もするけど、かなりリアル。
……。
で、なんで愛知?
というところが冒頭よりみなさんの気になるところだと思います。よござんすよござんす答えましょう。
近藤勇の最期は東京都板橋で斬首ということですが、その後遺体は三鷹市の龍源寺に葬られた説が有力です。
ところが首に関しては斬首後京都で晒された後完全に行方不明となってしまいました。
で、その首が問題
縮小してあるので見づらいと思いますごめんなさい。
要約すると晒し首を同志(斎藤一?)が奪取して塩漬けにしたのち近藤が生前慕っていた坊さんに埋葬してとお願いしました。
しかしそのお坊さん、三河のこの法蔵寺に異動が決まっていました!
その法蔵寺は山の中にあるお寺で、ひっそりと(新選組=旧幕府は迫害対象だったからね)近藤の首を埋葬するのにうってつけ!ってことでものすごくひっそりとひっそりとまるで無縁仏の如くひっそりと埋葬したらいつの間にか埋めたの忘れちゃったというわけです。
昭和三十三年のある日調査したらなんと近藤勇の墓であることが発覚し、その後はこうやって像も立てて今ではオープンにしてますよと。
そんなわけで処刑場東京、晒された京都、会津戦争の福島など、近藤勇縁の地がそれぞれ近藤勇の遺体埋葬地を立候補する中なぜか愛知県が割り込んでくるといった具合になってます。
まぁ何が真実かどうかなんてどうでもいいことなのですよ。例え遺体があろうがなかろうが、野田くんよりも日本をよくしようと文字通り命をかけた人ですからね、ここは素直に手を合わせましょうや。
ストーンヘンジ
近藤勇首塚の目の前には松平…なんとかさんの墓。
なんか廃墟が見えた。
行ってみよう
こっちはしっかりしてたけど入れず
特に面白いものはなし。
お寺の前の駐車場には柵で囲われた松の木があります。
愛知県は岡崎市。徳川家康生誕の地でございますよ。
そんな家康さん、このお寺でお勉学や習い事に励まれていたそうな。
ある日ここに家康君が松を埋めたんですと。
で、これが家康君の植えた松…の四代目。
先代は虫害により枯れるという憂き目にあったようです。
幕府のために散った近藤勇が家康のお膝元で眠る…。ええ話ではございませんか。真偽は別としてね。