校庭にも木がはえる
和歌山県と三重県の境目なんてのは、山林だらけで日本でも屈指の田舎です。そんなところにもいくつか小学校があったものの、見事にみなさん廃校廃校。田舎の廃校なんて再利用もできるはずなく、山奥で朽ちていくのを待つのみなわけです。
この畝畑小学校もその中の1つ。どうぞご覧あれ。
通学大変
ここに至る道はかなり狭いし川沿いだから車だとかなり怖い
この辺には50戸の集落があったんですが、今では2戸のみ。まぁたった2戸でもこんなところに残ってるってのはすごい話ですが。
んで、幅極小の川沿いの道をしばらく行くと、突如石垣の斜面が見えてきます。
あそこまでつづら折りの斜面を行きます
見上げれば人工物。このようにただでさえ不便なところにあるのに、最後は結構な斜面を登っていく必要があるというなかなか辛い現場です。
元々はお寺だった廃校
元々お寺だったらしいけども
さてこの畝畑小学校、敷地内に色々と建物があります。詳しくは分かりませんが、校舎の他に教員住宅があったと言われています。
また、もともとこの場所はお寺だったようで、写真にはありませんが石像や墓が残っています。
うんてい?
教員住宅らしい建物群と遊具っぽいもの。足元の瓶は当時の酒盛りの残りか?酒盛りでもしないと、こんなところではやっていけなさそうです。
学級崩壊
住宅なのか校舎なのかわかりませんが、崩落していました。
コロコロからのジャンプ組でした
足元には雑誌。調べてみた感じ、月刊マガジン1982年5月号のようでした。
1976年に休校の後1993年に閉校したと言われています(1976年に閉校との情報もあり)。なので、もしかしたら当時の先生か生徒が呼んでいたマガジンなのかな。
何が何だかわからない
てな感じでこちらの方は探索できず。おそらく校舎だと思うんですがね。
現存する建物は薄暗く
ここだけしっかりした建物
さて、こちらの建物は健在な感じです。木が倒れていて一部やられてますが、まだまだ現役。
全然イケるちょっとレトロな校舎
廊下。見た感じこちらは綺麗にされていて現代にも通じる感じがある。さっきの崩落していてオール木造建物とはちょっと年代が違うのでしょう。とはいえ、もちろん細かく見れば年代を感じる部分はあります。
ちょっと片付けたらまだまだ現役
っていうか歩いていたら床を踏み抜きました。ビビった。
こちらには職員室だったり、視聴覚室だったりがあります。だからちょっとグレードが高い建物なのね。
なんで?
突然の和傘。なんだろう?
ダイヤル式黒電話の前身
いとしの黒電話。しかしダイヤルがなく、あまり見ない形式です。というのもこれ、1958年〜1979年にかけて、ダイヤル式黒電話が出る前に使われた「41号M」なる機種。ちょうど写真には写っていませんが反対側の側面にハンドルがついていて、そこをぐるぐる回すと発電して電話交換手に繋がり、電話したい相手に繋いでもらって電話するんだとか。
すげーレアじゃん!と思いきや、普通にメルカリで3,000円あたりで売買されてました。
亜鉛酸空気湿電池ってなに?
これはわかりませんがバッテリーなんですかね?これまたレアものと思いきや、オークションで1,000円で落札されている履歴を見つけました。
不気味に笑う
こえーよ。
くれーよ。
図書室みたいなのもありましたが、こちらは真っ暗で、また残留物がごちゃごちゃしてて足を踏み入れたくない感じ。
視聴覚室かな?
教室。ここも全然光が入らなくて真っ暗。かつては黒板に在校生のメッセージが書かれていたようなんですが、もうめちゃくちゃになってしまっていた。
彫刻が置かれてるし図工室?
室内から廊下を見る。ずいぶん小さい教室だ。生徒数は60〜70人とのこと。こんな教室には収まらないから、やっぱりメインはさっきの木造の方だったんだろうな。
黒板ってこうなるものなのか
こっちも黒板がだらーん。しかし椅子もテーブルも木で良いですね。昔はこれがデフォルトだったけど、今は木造の椅子なんて図工室だけだよな。
もう踏み抜きたくない
見にくいけど突き当たりには跳び箱がある。そういえば体育館がないから、この跳び箱は校庭で使ってたのかな。
自給自足生活なのか
奥は調理室となっていました。廊下には薪として使われたのか?木材もありますね。
和歌山の廃校
和歌山で最も有名な廃校はこちらでしょう!かつては体育館にグランドピアノが放置されていたという廃校です。今はもう撤去されてしまったのですが、それでもなかなか見どころのある廃校でした。好き。