2017年1月5日、私は宮崎県の山奥にいました。こんな新年早々何をやっているのかと言うと、廃校にやってきました。廃校とはその名の通り廃墟となった学校です。
ここは尾股小中学校と呼ばれ、1978年に廃校になったと伝え聞きます。たくさんの人々の思い出が残るこの学び舎の、現在の様子をご覧ください。
前略、ド山奥の廃校より
これがまたなかなかの山の中。しかもずーっと曲がりくねった一本道で、代わり映えしない景色を見ながら運転することになるので、かなり退屈でした。
退屈だなー退屈だなーと思いながら意味もなくクラクションのひとつでもプっと鳴らして遊んでいれば見えてくるのが川にかかる小さな橋。橋を越えた先に廃校があります。
校門でしょうか。
オーパーツのような不思議なモニュメント。残念ながら二宮金次郎先生の像はありませんでした。もしかしたら昔はあったけど、戦争で溶かされたのかもしれませんが。
早速校舎内に入りました。40年廃墟やってるわりには状態が綺麗です。やはり廃墟を滅ぼすのは自然ではなく人間なんですねえ。
ガランとした木製校舎。
こちらは少し荒れています。
扉が外れボロボロな状態に。
そんな校舎ですが、人々の思いはたくさん詰まっているようでした。
黒板には卒業生らしき書き置きが多数。中には私のような関係者以外のただの訪問者からのメッセージもありました。
こんな山奥ですが定期的に人の出入りはあるようです。自分がくる1ヶ月前にも誰か訪れたそうですね。しかしこのノート、廃墟に置かれているものとはいえ劣化具合がすごい。古いものなのかもしれません。
これは関係ない寄せ書き。「ACKA」を「ASKA」に無理やり直した痕跡が残っています。
お次に入った部屋は図工室みたいな部屋でした。
唐突に吊り下げられたロープ。何に使われていたんでしょうか。
こちらも気になる廃墟の残留物。瓶の形状が年代を感じさせます。
彫りかけの招き猫…?
木彫りの何か。
唐突に放置された下駄。当時の学生はこいつをカランコロンと言わせながら登校していたんでしょうか。頭にはいなかっぺ大将が浮かんできます。
別の場所にも黒板があり、様々なメッセージが残されています。こちらは卒業生ではなく後からやってきた廃墟マニアのメッセージが多いように、「(ここまでくるのが)しんどい」だの「つらい」だの「落石注意」だの書かれてて面白かったです。とりわけ酷道ってほどでもないんですが、なかなかアクセスがめんどいところですからね。
古びた男子トイレ。よく見りゃ流す機能がないじゃない。
放置自転車
銃弾の跡
遊具
体育倉庫
小中学校にしては小さく感じましたが、過疎地なのでこんなもんなんだろうか。
放課後すぐ川で遊べるので良いですね。しかしまぁ本当に山の中で近くに集落なんかもないので、そもそも何でこんなところに学校があるのか謎です。昔は近くに集落があったんですかね。
この記事の撮影機材
カメラ1:RX100M3
カメラ2:iPhone7