だから滅びた
愛媛県新居浜市の山の方には、かつて別子銅山ってとこがありました。300年近い歴史を持っていて、規模も生産量も日本屈指だったそうです。
現在は「マイントピア別子」というテーマパークとして全体的に整備され公開されています。その中でも、東平(とうなる)地区は「東洋のマチュピチュ」と呼ばれています。こうした「東洋の〇〇」ってわりとガッカリなところが多いのですが、東洋のマチュピチュはどうなのか…見ていくぜ!
道中から色々と見応えあり
四通橋。当時の列車の名残
まず最初にこの「マイントピア別子」、なかなか規模がでかいです。温泉もある道の駅みたいな施設、トロッコ、坑道体験、色々と整備されています。また、それ以外にも写真のような遺構がぼちぼち残っています。
ダムとループ橋。これは銅山関係ない
そんな賑わいを見せる施設を尻目に、より山奥へと進んで東平へ向かいます。
東洋のマチュピチュと呼ばれた東平
めっちゃ逆光
道中かなり狭い山道をくねくね曲がりながら着きました。ここが東平です。お、おう…。
上から見た東平の全貌
最上部から見てみると、確かに山の中に遺跡がある感じはマチュピチュっぽい。言わんとしていることはわかります。しかし、まぁ、これは、流石に何分かの1スケールすぎて、実際のマチュピチュを見たことがない私でも、「マチュピチュと言い表すのもおこがましくないかい?」と思うレベル。
面影は…ない!
最上部から最下部へは、かつてインクラインだったものを利用した階段を使って降りていきます。インクラインってのは、斜面を利用したトロッコですね。ただし、当時の面影は全くありません。
整備されすぎ
その後も散策を続けますが、やはりもう銅山としての名残はほとんどなくて、何がなんだかわからない状態。
あざとい
これも滅びた文明チックではあるんですが、文明ではなく銅山なので、銅山のなんかだったんだぁという印象しかないです。
索道基地跡。看板の写真を見ると、メカメカしくて素敵
こういった案内板もあるんですが、今はもう基礎しか残ってないので、なかなか当時のイメージを重ねることができません。もうちょっと、残して欲しかったよなぁ…。
いや、素敵なんだけどね
うーむ。
これより下部には住居跡があるが、そこも基礎しか残ってない
まぁそんな感じの感想なのですが、この別子銅山自体はとってもすごくて、あの住友グループを財閥に押し上げたのはここのおかげ、とも言われています。
別子銅山は、現在の工都新居浜と住友グループを生み出した母なる銅山である。
今日の住友各社の事業の源は、何らかの形で「別子銅山」に繋がり、住友の原点・源流とも言われています。
山の中にはお宝が眠っているのかな
かつては鉱山鉄道も走っていて、向こうの山の中腹を駆け抜けていたそうです。結構すごい。ただそちらの方は整備されてないみたいで、遺構は山の中で見るのはちょっと辛いみたい。
坑道くらいは見てけばよかった
というわけで色々とマイナスなこと書いてしまったんですが、私が見たのはあくまでも別子銅山の東平地区だけ。先の通り、別子銅山には坑道体験とか資料館とか、他にもいろんな施設があります。そっちの方スルーしちゃったけど、レジャーとしては普通に楽しめそうです。
しかし「東洋のマチュピチュ」はちょっと言いすぎたな!
岐阜のマチュピチュもあるよ
マチュピチュと言えば、岐阜にもあります。こちらはマチュピチュのような遺跡感が皆無なんですが、これはこれで結構素敵な場所で、めっちゃ良かったです。また行きたい場所。ぜひこっちも見てね。
別子銅山の詳細情報
公式サイト:マイントピア別子(MINETOPIA BESSHI)│公式サイト
場所:Googleマップで見る
訪問年:2020年